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生まれた目的に答えがないなら、この【リセットがない人生ゲーム】には勝たなければならない

いきなりぶっ飛ばしていきます♪

人生はゲームだ

時間をどう考えますか?

5秒は、長いか?短いか?

お笑いコンビ、サバンナの八木真澄さんのギャグにこんなものがあります。

 

八木さんがステージをゆっくりと歩き、そして最後にこう言います。

 

 

「5秒無駄遣い」

 

 

ボクは、八木さんが好きで、こういったギャグをいくつも観たことがあります。

 

YouTubeなどで観ていると、観客の反応が薄いのですが、ボクの視点では、

 

「そこ!!!??」

 

・・・と関心せずにはいられません。

 

 

お笑いのギャグ話をしたいわけではありません。

 

あるとき、バラエティ番組を観ていて八木さんが出ていました。

 

そして、この「5秒無駄遣い」のギャグをしていました。

 

いつもなら笑って終わっていたのですが、その日は、「5秒無駄遣い」と聞いて、なんだかゾワッとした記憶があります。

 

それ以後、このギャグを観たら、面白い反面、生きている時間に気づかされます。

 

ボクの中で、このギャグは時間を無駄に使っている自分への戒めとなっております。

 

たとえば、一人の人間に与えられた一生の時間を考えたとき、不慮の事故や大病など、どうしようもできないことや避けられなかったことを除いて、普通に生活できれば、およそ80年前後の時間を与えられています。

 

性別や国別でちがいはありますが、ここではざっと80年として考えてみます。

 

 

あなたは、

これを長いと思いますか?

それとも短いと思いますか?

 

今、あなたが生きている状況や環境、年齢によって考え方がちがってくると思いますが、どうでしょう。正解がないぶん、こうだと言い切るのは難しいですね。

 

 

では、これならどうでしょう。

 

あなたにとって、

5秒は長いと思いますか?

それとも短いと思いますか?

 

 

ほとんどの人が、

 

・5秒なんて短い。 

・5秒なんてどうでもいい。

・5秒てなんですか。

・5秒てカウントダウン?

・えっ? ごびょう? 誤謬ですか?

 

おそらく、世の中で5秒を気にしているのは、ボクか、八木さんか、新幹線や、電車の運転手さんです。

 

さらには、秒単位で競い合うアスリートのかたではないでしょうか?

 

時間を扱う仕事をしている人と考えればいいと思います。

 

普通に生活している人にとって、日常生活で秒単位を気にして生きている人はあまりいないかもしれません。

 

5秒を気にしているボクだって、日々、毎時間、そしてこの記事を書いている昼下がりのカフェでも、5秒を意識して生活しているかと言われれば、していないと答えるしかありません。

 

何となくテレビを観ていても、歯を磨いていても、通勤していても、そしてトイレにいても、5秒などはあっという間に過ぎ去ってしまいます。

 

家の玄関から地下鉄に乗るまでに数十分はかかります。改札を通って、

 

「うわ! 5秒無駄にした」

 

・・・などと考える人もいないし、口にする人もいません。

 

むしろ、そんなことを叫んだら怪しい人です。

5秒を無駄にしてもなんとも思わない人でも、休日に何もしないで家にいて、サザエさんを見終わったとき、

 

「あー!!!1日何もしなかった。無駄にしたなぁ」

 

こう思う人は、多いはずです。

 

もちろん、ボクにも経験はありますし、生きていて、1日も無駄にしない人を探すほうが難しいかもしれませんね。

 

同じ時間でも、5秒無駄にしたことと、24時間無駄にしたこととでは、大きなちがいですね。

 

5秒では、なにもできないかもしれませんが、休日の24時間、睡眠時間など差し引いても12時間あれば、掃除や洗濯ができたり、本を読んだり、買い物をしたりもできます。

 

ゴロゴロ家にいて、夜になって後悔するぐらいなら、外に出て行動していれば、少しは充実した時間を過ごせたかもしれません。

 

しかし、ボクは、24時間を無駄にすることも、5秒を無駄にすることも、同じ「時間の無駄遣い」であることには変わりないと考えています。

 

もっと言えば・・・

 

「ボクに与えられた一生の時間を自分の手で削って無駄に使った」

 

・・・と考えています。

時間の使い方は、お金の使い方と同じ

 

道端に1円が落ちていてもあえて拾う人は少ないかもしれませんが、100円ならどうでしょうか。500円なら拾う人もぐっと増えると思います。

 

ボクは、渋谷のスクランブル交差点のように、よほど混雑していなかったり、周りの通行に迷惑をかけるような状況でないかぎり、たとえ1円でも拾ってしまう人間です。

 

それは、1円の価値を知ってしまったからなのです。

 

<参考記事>

1円玉の原価は3円かかっている!?赤字で製造される一円硬貨の雑学がすごすぎた

 

 

1円では消費税分にもなりませんが、100円は1円が100個集まってできたものです。1円が99個あっても、けして100円にはなりません。

 

60秒である1分は、1秒が60個集まったものです。5秒足りなくても1分にはなりません。

 

たった一つでは「小」だけれど、「大」を作るためには、必ず「小」が必要なのです。

 

これはお金でも、時間でも同じだとわたくしは思うのです。

 

大富豪は何兆円もの資産を有しているのに、無駄なことにお金を使うことをきらいます。

 

 「いつも5秒を意識していろ」なんて言われても、到底無理な話ですが、「時間を無駄にしない」と心がけることで、われわれに与えられた有限の時間を無駄に過ごさずにすむのではないでしょうか?

人間は『死』に向かって進んでいる

泣きながら生まれてくる

だれもが一度は考えたことがあると思います。

 

「人間は何のために生まれてきたのか?」

 

この答えを知っている人がいるのでしょうか?

 

正解なんてあるのでしょうか?

 

赤ちゃんが、母親の身体からこの世に出てくるとき、泣いて出てきます。

 

 

「人は、みな泣きながら生まれてくる」

 

シェイクスピアの戯曲『リア王』での有名な台詞です。

 

リヤ王はグロスター伯爵にこう言います。

「人は皆、泣きながらこの世にやってきたのだ。そうであろうが、人が初めてこの世の大気に触れる時、皆、必ず泣き喚く・・生まれ落ちるや、誰も大声を挙げて泣き叫ぶ、阿呆ばかりの大きな舞台に突出されたのが悲しゅうてな」

 

人の一生を考えたとき、わたくしは楽しいことよりも、苦しいことのほうが多いのではないかと思うのです。

 

子どもは、親を選べない。

生まれたときから不平等が始まっています。

 

 

そして、何十年にもおよぶ学ぶ時代。

 

良い会社に入るための受験。 

上位と下位に別れる世の中。

 

労働の苦しみ。

老老介護。

孤独な死。

 

学校でいい成績をとるために生まれてきたのでしょうか?

労働して、重い税金を納めるために生まれてきたのでしょうか?

親の介護、孤独に死ぬために生まれてきたのでしょうか?

 

考えが、悲観的ですか?

ネガティブでしょうか?

 

だけど、みなさんはどれだけ充実していますか?

 

自分の人生を楽しく謳歌している?

何も不満はない。

そう思える人はどれだけいるのでしょう。

 

たしかに楽しいこともあります。

 

いい学校に入学した。

恋人ができた。

結婚した。

 

楽しいこと。

幸せなこと。

 

もしかして、つらいことと同じぐらい楽しいこともあるかもしれません。

 

だけど、それをも覆い尽くしてしまうような苦しみのほうが、生きていて多いように、わたくしは思うのです。

 

小さな幸せをよりも、小さな不幸や苦しみのほうが、人間の心を侵食する力が強いと思うのです。

 

人の心がネガティブになりやすいように。

 

生まれなければ、生の楽しみを知らなかったかもしれませんが、同じように苦しみを知らなくてすんだ。

 

喜びも悲しみも、怒りも楽しみも知らずにすんだのです。

 

そもそも生まれなければ、すべてがゼロだったのです。

 

「阿呆ばかりの大きな舞台に突出されたのが悲しゅうてな」

 

神の子である赤ちゃんは、生まれるときからこの世の苦しみを知っているのでしょうか?

アナログ時計とデジタル時計

この世は毎日、どこかで、誰かが亡くなっています。

 

人の死は、その人に関わった周囲の人の心にも作用します。

 

生きていることが日常だった日から、ポッカリとその人がいなくなる。毎日会っていなかった人でも、もう会えることはない、となれば、その人を思う気持ちもちがいます。

 

人の死は、普段わたくしたちがあまり考えない『死』というものを考えさせる切っ掛けになります。

 

あまりあってはならないことですが、生きている以上、だれにでも死は訪れます。

避けては通れない『死』をあらためて考える大切な場だと、ボクは考えます。

 

子どもにも『死』を学ばせることは大事だと思います。

 

ボクは、17、8歳のときの祖父の死が、最初の死の経験でした。

 

今でも覚えていますが、あれほど泣いたことはありません。

 

親戚関係者が驚くほど、ボクは、泣いていました。

 

気がついたとき、床に敷かれた布団で横になっていました。

 

泣き疲れて眠ってしまったようです。

 

それから、祖母が亡くなり、毎年のように親戚が亡くなり、ボクは、成人前にして『死』が身近なものになっていました。

 

「人が死んだらどうなるのだろう」

 

苦しいのかな。

悲しいのかな。

スイッチが切れるようになるのかな。

糸が切れたようになるのかな。

 

自分が死ぬとき怖いな・・・。

 

こんなことを当たり前に考えるようになりました。

 

「死」を体験して振り返ることは不可能ですが、生きている有限の時間を無駄にしないために「死への時間」を考えることをよくします。

 

それは、アナログ時計を見て考えることで、現在を起点にして前後感覚を感じ、死に向かっていると思うことができます。

 

「あなたは腕時計をしますか。それはアナログ時計ですか。それともデジタル時計ですか」

 

ボクは、以前はデジタル時計でした。

G-SHOCKが好きだったので、持っている腕時計すべてデジタルでした。

今は、アナログの腕時計を持っています。(←最近は身につけませんが・・・)

 

デジタルのいいところは、見たときにダイレクトに数字が目に飛び込んでくるので、今現在の時間がわかります。

 

「当たり前だろ」と思われましたか?

 

そうですよね。

 

時計で時間を調べたんだから現在の時間がわかるのは当たり前です。

 

わかるのは、現在の時間です。

 

では、アナログ時計はどうでしょうか?

 

アナログ時計も、もちろん時計ですから現在の時間がわかります。

 

ただ、アナログ時計は現在の時間がかわると同時に、過去から繋がる現在までと、そして現在から繋がる未来までの時間をイメージすることができます。

 

アナログ時計で現在の時間を見たとき、それは時間を見ているのではなくて、自分が行動を起こした過去の起点からどれだけ時間が過ぎたか。

 

そして現時点から目的の時間までどのように繋げていくか。

 

時間を一つの空間ととらえることができます。

 

しかし、これがデジタルだと、“点”、としてしかとらえることができなくなり、前後の広がりが乏しいものに感じられます。

 

みなさまも、「言われてみたらたしかにそんな感じがする」とお思いになりませんか?

 

ボクが、デジタルからアナログの腕時計に変えたのも、空間的にイメージして時間をとらえたかったからです。

 

精神病理学を代表する方で、木村敏(きむら びん)さんという方がいらっしゃいます。

 

書籍は非常に難解なのですが、以前『時間と自己』を読んだときに、このアナログとデジタルの話があり「なるほど!!そうか!」と感じました。

 

ボクたちが、生活で知りたいのは、現在の正確な時間ではなく、決められた時間までに、どれほどの時間が残っているか?

 

または逆に、決められた時間から、どれほどの時間が過ぎてしまったのか。それを知りたいのです。

 

アナログ時計からは、針の動きに、過ぎ去る時間を感じとり、「まだだ」とか「もうだ」という前後の領域を感じることができます。

 

しかしデジタル時計からは、数字しか読み取れず、われわれを時間に関する離人症のような状態にさせるといっています。

 

《離人症:精神障害のひとつ。自分が自己の体から一体性を失って体験されるような症状が体験されます。たとえば現実感がないといった抽象的な感覚から、自分が自分の体から離れて自分を見ているような体験まで幅があります。一般に、10代後半から20代に発症し、40歳以上ではまれとされています。日本ではやや女性が多いことが指摘されています。参考:離人症性障害とはどんな病気か|症状や原因・治療 – gooヘルスケア

 

木村さんがアナログ時計で語っているように「過ぎ去る時間」を感じることが、生の時間が有限であることを感じ、時間を無駄に使わないことに繋がるとわたくしは考えます。

 

この人生はゲームだが、リセットはない

80年火を灯すロウソク

たとえば、もし、人生が80年で終わるとわかっていて、その80年間火が灯るロウソクがあれば、ボクは、買います。

 

生きている時間。

 

限りある時間を視覚的に確認できれば、けして時間を無駄にしないと思うからです。

 

毎日、ロウソクは目の前で燃え続けるのです。ロウソクの長さに変化があるようには見えませんが、ゆっくり、しかし確実にロウソクの長さは短くなっていくのです。

 

80年燃えるロウソクが100センチだとすると、40歳の人はその半分が燃えたことになるのです。目の前には50センチのロウソクがあります。

 

「まだ50センチもある」

「もう50センチしかない」

 

感じ方は人それぞれですが、数字で考えるより、視覚的にイメージできるほうがよりいいとわたくしは考えます。

 

これは、アナログ時計とデジタル時計の考えと同じことです。

勝たなければゲームじゃない

 

「人間はなんのために生まれてきたか」

 

生まれてきた目的に対する答えがないのなら、人間である以上、生きていく答えの一つは、

 

「このゲームには勝たなければならない」

 

人生をゲームに例えることは些か抵抗がありますが、それでも、これは神が始めたゲームだとボク自身は、思うようにしています。

 

ただ、ひとつちがう点は、生きて「上がり」を迎えられない、そして、やり直すためのリセットがないゲームということです。

 

ボクたちは、常に決断の連続です。

 

その決断がこれからのあなたの人生を左右する大きな出来事になることもあります。

 

「MY(わたし)」というコマが進んで、成功の道を進む人もいれば、借金をして奈落の底に落ちる人もいます。振り返ったとき、

 

「あの時の決断が」

 

・・・と思うこともあるでしょう。

 

しかし、このゲームが始まったからには、ゲームの途中で

 

「面白くない」

「納得できない」

「最初からやり直したい」

 

・・・って、そう思っても、戻ることはできません。

 

テレビゲームのようにセーブしたところからもう一度。または、最初から始める。

 

そんなことはできないのです。

 

ボクたちが、生きてプレイしているこのゲームには、リセットもなければ、復活の呪文もないのです。

 

ボクたちが、これまで選んだ選択肢は、すべて正しいのです。

 

なぜなら、もう一方の選択肢の答えをボクたちは知ることができないからです。

 

そして、これからも知ることはありません。

 

ボクたちが選ばなかったもう一方を引いていれば、ちがった結果があったかもしれません。

 

・・・が、このゲームに「もし」や「たぶん」はありません。

 

そして、選んだ選択肢の結果がどうあれ、勝ち進んでいかなければなりません。

 

それは相手がどうこうというよりも、自分の人生をよりよくしていかなければいけないのです。

 

ライバルを蹴落とす場面に遭遇するかもしれません。

 

もしかして、自分自身が蹴落とされるかもしれません。

 

この世に生まれてくる意味の答えがないのなら、少なくても、あなたはこのゲームに勝たなければなりません。

 

自分自身の人生をよくし、勝たなければならないのです。

 

ボクたちがこのゲームをリタイアしない限り、人生に絶望している時間はありません。

 

今の5秒は、もう取り戻せない過去の産物になり、あなたの目の前には次の5秒が迫っています。

 

その5秒が積み重なって、大きな固まりの時間ができるのです。

 

生まれたことに悲しんでも、ゲームは始まり、そして死に向かっています。

 

死ぬことはわかっている。ならば現在ばかりを見るのではなく、これからおとずれる未来の時間を無駄にしないためにも、あなたに残された時間を最大限に使うのです。

 

苦しい立場にあっても、チャンスは必ず訪れます。何歳であろうが、生きていれば何かを成せるかもしれない。

 

ボクは、この人生でお金より大切なものは時間だと思っています。

 

「人生で命の次に大切なのはお金だ」と、わたくしは言いますが、やはりこの考えは正しいと思います。

 

命とは、ボクたちが持っている、一生の限りある時間と、イコールなのです。

時間は、武器だということ

 

ボクたちに与えられた最高のものは、時間です。

 

時間があればやり直しができます。

 

過去には戻れませんが、過去から学ぶことができ、それを未来に繋げられます。

 

時間がお金を生みます。

長い時間があればお金を増やすことができます。

 

誰にでも死がおとずれるのであれば、今、死が間近に迫った「時間がない」賢人よりも、まさに、今生まれ出る「時間がある」赤ちゃんのほうが大きな武器を持っていることになります。

 

阿呆ばかりの大きな舞台に突出されたのが悲しくても、生きている限り阿呆の舞台を進んでいかなければならない。

 

あきらめればそこで終わり、ならば少なくてもゲームには勝たなければならない。

職業『ブロガー』

滋賀県彦根市在住Webコンサルタント/ブロガー/マーケティング・コンサルタント/コミュニティ大学東京支部長/