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あの素晴らしい愛をもう一度

命かけてと 誓った日から
すてきな想い出 残してきたのに
あの時 同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度  

 

ザ・フォーク・クルセダーズで有名な北山修さんが作詞、加藤和彦さんが作曲し2人の連名で発表した歌ですね。

 

年齢が若い人は、知らないかもしれないですね。

 

ボクも、それなりに若いんだけど・・・。

 

うんちくを垂れると、「素晴らしい」 と誤記されることが多いが、本当は 「素晴しい」 という送り仮名が正解。「ら」 は要らない。ちょっと細かい?

 

なんてことは、まぁ置いておきましょう。

今日のお話は、半分以上私の勝手な脳内妄想なので、気楽にお付き合い下さいませ。

 

ボクは、昔、単純に「若い元カップル当事者二人の視点」の歌だと思っていたんですね。

 

 

昔、こんな風だった私たち二人の心。

あなたと私の心が、もう今は通わない。

だから、もう一度あの頃の私たちに戻ろうよ。

叶うことなら、戻りたいよーーーー!!!

 

こんな風に、未練たらたらのカップル当事者の心の声だと考えてたんです。

 

でも、聴きこんでいくうちに、別の世界が見えてきた。

 

なぜ、「美しいと言った二人の」 なんだ?
 

なぜ、私たちのとか、あなたと私の、ではないかも・・・?って。
 

もちろん、メロディーに字を合わせるためそう言うしかなかったこともあるだろう。
 

でも、ボク自身の独自の解釈として・・・。

この歌は、かつての二人を知る、善意の第三者の視点、いわゆる神の視点で歌われたものじゃないかと。

 

赤毛のアンばりに、そう勝手な想像の翼を広げてみる。

 

他人視点だから、「二人の」 なのじゃないかなぁって。

 

だから、その視点でこの歌を解釈し直すと・・・
 

 

私は、あの二人を以前から知っている者です。
 

それはそれは、私から見てもうらやましく、素晴しいと思うほどの愛で結ばれていたんですよ。

 

どんな時でも、二人は互いの正直な気持ちを伝え合っていた。
 

でも、そんな二人が別れることになるなんて、誰が想像できたでしょう?
 

理由は、誰も知りません。 

 

二人が頑として口を閉ざしているからです。 

 

あれだけの二人が別れたんです。

 

他人が勝手に想像するような程度のことではない、深いわけがあるんでしょう。

 

ええ、私ごときが勝手に言うことではないことは分かっています。

 

勝手な、出しゃばった願いであることは百も承知です。
 

でも、こう願わずにはいられないんです。
 

『ああ、あの二人がもう一度仲直りをすればなぁ』 って。
 

そうなったら、本当にうれしい。
 

あの素晴しい愛を、もう一度見たい。甦ってほしい。

 

ボクはこの歌を、かつての二人を知る第三者の、「幸せになってほしい」 という願いじゃないかなぁって考えてみたんです。

 

もちろん、当事者でない第三者は、二人の深い事情を知らない。

 

 

知らないで言うのだから、その二人の愛が修復されてほしいというのは、実に手前勝手な願いと言えなくもない。 
 

 

でも、それって本当にくだらないのでしょうか?

 

ただの余計なおせっかい、で片付けていいのでしょうか?

 

ボクは、その行為は、とても「美しい」ことだと思うんです。

 

世の中って、そういうもので成り立っている部分もあるんじゃないかなぁって。
 

ボク自身が、気付かないところで、誰かが、ボクの幸せを願っている。

 

 

誰かが、どんな形であれ思いを寄せてくれている。

 

 

・男女愛

・友情

・家族愛

・人類愛
 

スピリチュアルは、その性格上どうしても 「自分」 という軸に比重が置かれる。
 

 

基本的に、

 

「自分の意識が現実を生みだしている」

「現実は自分の投影」

 

・・・ と捉える性格上、9割まで「自分」 に関する話じゃないでしょうか?

 

 

自分の意識の在り方がすべてで、他人を自分と同列に考える視点はほぼない。

 

ボクは、何も、「自分がすべてを (その理屈で行けば他人も) 生み出している」 という理屈に反対したいわけではなくて、「バランス感覚をもってほしい」 からお伝えしているのです。

 

半分 「自分軸」 のことを考えたら、残りは 「他を思いやること」 に使おう。
 

他人のことは、本当のことは分からない。
 

だから100%分かり合えることは不可能だと思うんですよね。

 

でも、分かり合えないから、分かり合おうとしないでいいというのは違うと思うんです。
 

分かり合えない前提だろうと、そういう宿命だろうと知ったこっちゃないわけです。
 

だって、分かりたいんだもの!

 

その上で、何かしてあげたいんだもの!
 

意味のあるなしじゃなく、できる、できない、じゃなく「したい」 んだもの!です。
 

登山家が山に挑むようなものだ。
 

とうとう帰ってこなかった登山家が、何人いるだろう。
 

決して少なくはないはずだ。 

 

ムリだから。
 

こわいから。

 

だから、やめとく?
 

 

彼らは、そうではなかったんです。

 

それが、人間に備わったスペックです。

 

それが眠っている人には、鼻で笑われるかもしれません。

 

でもただ、眠っているだけではないでしょうか?

 

ムリとか、現実的でないとか、関係ない。
 

 

この歌の善意の第三者は、ただ 「あの素晴しい愛をもう一度」 と願っていたのではないでしょうか?
 

 

無茶でも、手前勝手でも、とにかく願わずにいられなかったんです。
 

 

たとえ、本当の事情を知らない第三者の言葉や、願いであっても・・・。
 

 

それが、純粋な情熱から出た言葉であるなら、その思いは、情報不足から来る欠点を凌駕すると思うんです。

 

そして、時として奇跡的な仕事をしてくれる。

 

当事者同士は 「もう自分たちは終わった」 と考えているのに、おせっかいな第三者が立ち回って、結果二人がわだかまりやメンツを捨てて素直な気持ちになりよりを戻す、という筋の映画やドラマは無数にあると思うんです。

 

当事者があきらめているのにですよ。
 

改めて、他人ってすごいと思うんです。

 

スピリチュアルって 「自分」 にすべての鍵があるという方向ばかりにものを考えがちだが、そこは、ちょっと視点を変えて見てみると面白いかもしれない。

 

確かに、身もふたもない上の次元からの目線で見ると・・・他人は幻想です。

 

自他という認識それ自体、夢です。

でも、幻想とはいえ、この人生という名の世界では、他人も確固たる 「個」 なんです。
 

あなたの人生においてあなたは主役で、他は脇役に過ぎないかもしれない。

 

しかし、シナリオ (脚本) である以上、脇役とはいえあなたの人生を変える重要なことを左右するかもしれない。
 

他人から見たら、ボクは、他人であり、第三者であろうと思うんです。
 

でも、ボクだって、色々な人のことを思っている。
 

愛する人。

 

そして、家族。

出会ってきた様々な人。

 

お世話になっている人・・・。

 

そんな風に、ボクのようなものであっても、誰かは思ってくれている。
 

 

そんな温かいエネルギーが、見えない空間を飛び交っている。

本当に、ありがたいことだなぁ、と思うんです。

 

ちょっと、マジメな記事を書いてみました。

 

結構、今回とりあげたポイントは、実は・・・

 

インナーチャイルドにあったりするんですよね。

 

そのことは、また別記事にまとめてあります!

 

<参考記事>

自分の内側からたくさんの愛情があふれ出す、自分できるインナーチャイルドの癒やし方

 

メリークリスマス。

 

ステキな夜をお過ごしください。

職業『ブロガー』

滋賀県彦根市在住Webコンサルタント/ブロガー/マーケティング・コンサルタント/コミュニティ大学東京支部長/